茶ノ木稲荷神社縁起

商売繁昌、衣食住安泰、芸事向上、特に眼病の平癒では全国的に有名

御祭神

稲荷大神【いなりおおかみ】(元々此地の地主神、稲荷山と言われた此丘に数多く祭られていた稲霊、年神様の主神である)
保食神【うけもちのかみ】

歴史

空海が関東下向の時に開山、幅広いご利益

市谷八幡神社の境内、石段左の方中段に御鎮座しております茶木稲荷神社。今をさる一千年余りの昔、弘法大師が初めて御鎭祭申上げたのが当社と伝えられています。この山の地主の神でありまして古来この地を稲荷山【いなりやま】と呼んだのも、そのいわれによるものです。御祭神は保食神【うけもちのかみ】、すなわち稲荷大神です。この大神は、食物衣服のことを司るのが主なる御神徳ですが、その他、家内屋敷の安全を始め、農業、工業、商業の繁昌、諸技藝の上達、交通旅行の安全等を護り、幅広いご利益を持っています。

眼病平癒の伝説

御祭神は、古来病気平癒に特別の信仰があります。古くから伝わるところによれば、昔この山に稲荷大神の御神使の白狐が居ましたが、ある時あやまって茶の木で目をつき、それ以来崇敬者は茶を忌み、正月の三ヶ日は茶を呑まない習俗がありました。特に眼病の人は一七日、或は三七日二十一日の間茶をたって願えば霊験があらたかであったと言われており、その他様々な願いが成就したということです。

御神威は遠く四方に輝き、参詣者は常に絶えることなく、毎春初牛の祭はもとより、毎月々の御祭日には、神楽の奉奏、演藝の奉納等も行われ、縁日も立ち賑わいを極めました。旧幕時代には、大名旗本並に遠近の士民の崇敬が篤く、御本殿・拝殿をはじめ、鳥居・石水舍・石段・玉垣・燈籠・こまいぬ等、境内の諸設備に至るまで次第に完備。境内に現存する数百年前からの金石の奉納物に刻まれた文字を見ても、武芸者・文人墨客より諸商諸工に至るまで、あらゆる方面にわたり、その地域は江戸の市内は勿論、遠方の人々も含んでおり、今にいたるご利益に対する評判の大きさが感じられます。明治大正時代、そして昭和の戦前には、日本橋の魚河岸、大傳馬町等の諸問屋、麹町牛込の繁華街の方々に熱心な信者が多く、敬神講・小祭講等の講を数多く組織していました。長い間の戦争により崇敬者の方々も地方に疎開され、戦後、中断していましたが、2000年より再スタートが切れるまでになりました。